友達の作り方

友達【ともだち】

 勤務、学校あるいは志などを共にしていて、同等の相手として交わっている人。友人。

 

 友達の意義が上記のとおりなら、以下のことが導けるはずである。

 すなわち、友達に上下関係はない、友達に見返りは求めない、友達は金で買えない。

 

 そもそも僕は友だちが少ない。もともと人付き合いがそこまで上手な方ではない。しかし、友だちが少ないことで困ったことはなかったので特段それ自体を気にしたことはなかった。

 そして、大学院に入ってからは、その少ない友達がさらに少なくなった。

 

 僕が大学院に入ってからは、同期の友達や、大学時代の友達が年末年始、GW、お盆等の季節の節目等に積極的に遊びや宴席に誘ってくれていた。

 最初はそれらの集まりにも出て、近況報告等をして、お互いの壮健を確かめていた。

 

 しかし、次第に大学院の講義の予習復習、日々の勉強に忙殺され、返信がおざなりになる。

 また、せっかく誘ってくれた宴席にもほとんど断りを入れるようになっていた。断りの返信をするならまだしも、次第に返信すらしなくなる。

 さらに、受験の重圧やプレッシャー、焦燥感により他人を遠ざけるようになっていた。

 「俺に構わないでくれ」、「一人にしてくれ」、「もういやだ」

 自分のような情けない人間はいなくなればいい。

 そんな言葉を脳裏に浮かべて、没交渉を正当化していく。

 

 そうして、次第に集まりに誘われなくなった。ひとり、またひとりと連絡が来なくなり、とうとう独りになった。

  自分が望んだ結果である。喜ぶべきことじゃないか。

 

 いいのだ、自分にはやらなきゃいけないことがある。

 そのためなら、なんだって犠牲にする覚悟はある。そう決めたじゃないか。

 それがたとえ大切な友達であっても…。

 

 ほとんど鳴らなくなった携帯電話。

 

 8月20日 メール着信

 暑いねー。ビアガーデンでも行きませんか?気晴らしになりますよ!!

 「ごめん、答練があって」

 ーーうそだ、答練は午前中までだろ。

 

 12月26日 メール着信

 年末年始、ちょいと飲まないかい?もちろんどちらかでもオーケーです。

「ごめん、年末年始はゼミで無理なんだ。」

 ーーうそだ、ゼミメンバーはみんな帰省してる。

 

 4月25日 メール着信

 連休中、どっか遊びにいかない?気晴らしになるかも!!

 「ごめん、追い込みの時期で無理なんだ」

 ーーうそだ、それくらいの時間は捻出できるはずだろ。

 

  嘘で塗り固めた言葉を、電波に乗せる。

  これでいい、これでいい、これでいい。

 

 5月15日 メール着信

 明日から試験だよね?頑張ってな。ふえきなら絶対できる。俺は知ってる。

 ーーーーー思わず、息が詰まる。試験の日程は教えてない。自分で調べないとたどり着けないはずである。

 

 その時、僕は初めて、自分の愚かさに気づいた。そして、失ってはいけない大切なものを持っていたことを…。

 

 僕はメールを返信した。

 「しまりん(35歳男)、今まで連絡しなくてごめんなさい。もしよかったらこれからも友達でいてください。試験が終わったら酒でも飲みませんか?」

 

 今度は本当の言葉を電波に乗せる。

 

 日記の冒頭に追加する言葉がある。

 友達に上下関係はない、友達に見返りは求めない、友達は金で買えない。

 ーーーーそして、なによりも、友達はかけがえがないものである…と。

 

「いっしょにゲームをしよう」

 いいよ、飽きるまでやろう。

 

「いっしょに酒を飲もう」

 いいよ、酔いつぶれるまで付き合うよ。

 

「いっしょに釣りに行こう」

 いいよ、釣れなくても楽しいよ。きっと。

 

ーーーーーーーーーーーーだって、俺達はずっと友達だから。

 

 

※この物語は妄想です。